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日付が変わり、引き続き内房を南下していく。内房の国道はあまり走りたくないなぁ〜と思うが仕方ない。大型車がビュンビュン疾走し、しかも何だ?このつぎはぎだらけの工事中は。走りにくいことこの上ない。路肩が荒れている。
蘇我を過ぎたあたりで、とある交差点前で荒れている路肩を避けて歩道に上がり、そのまま交差点まで進もうとした。しかしガードレールがバッチリついており、車道に下りることができない。アレ?なんだよーちくしょーもうッ。交差点から歩道上を無理やり左に持っていかれ、少し離れた歩行者用の横断歩道からしか渡れないではないか。まったく、車道をそのまま直進していればよかった…。ここまではありがちな話だ。ああわずらわしい…。
と思ったが、歩行者用の横断歩道を渡った先には…??オオッ、国道と平行して1本中に入ったところに道路が延びているぞ!!これは旧道か!?でも何街道の?詳細は不明なれど暗闇の中を緩やかに蛇行しながら先へ先へと続いているようだった。
右手海寄りにはオレンジの街灯に煌々と照らされた国道。目の前には静かな旧道らしき道。迷わず旧道らしき道を進むことにした。ツーリングマップルで確認すると、この道はどうやら地方道24号線のようだった。旧東海道のようないわゆる旧道かどうかは不明だが、とにかくずーっと先まで国道と平行しており、国道を使わなくても南下ができそうだ。
この旧道らしき道は意外と長く延びており、千葉市を抜け、市原市を抜け、袖ヶ浦を抜け、木更津にいたってようやく国道127号と合流するのだった。思わぬ収穫だった。
木更津に入った頃にはもうすでに空が明るくなりかけており、もう夏なんだなぁ〜と思わせるような朝の早さだ。しかし…僕もかなり眠くなってきた。やっぱり徹夜というのは疲れるよなぁ…。ママチャリで来たときは前夜に徹夜で麻雀をやっていたが、それでも眠くはならなかった…。
と、ここでランドナーの泥よけをダボ穴に止めていたチョウネジがなくなっていることに気づく。んナ、いつのまに!どうりでさっきから泥よけがカタカタカタカタうるさいはずだ。こんなことにも今まで気づかず走っていたとは。きっと走っているうちにチョウネジがゆるんで脱落してしまったのだろう。仕方ないので予備のタイヤチューブを止めていた太い輪ゴムを穴に通し、チョウネジの代用とする。
前回ママチャリで来たときも、富津岬の方へは行かずに内陸の127号を選んだはずだった。あのときは激しいアップダウンで泣きそうになったっけ…しかし今なら何ともないぜ…と思いきや、ランドナーでもしんどいものはしんどいのだった。
こ、こんなところを当時のオレはママチャリで走ったっていうのかッ!?信じられん。若すぎる!チャリダーとしての熟練度の上昇よりも、自分の体力低下ぶりの方がひどいようだった。そうか、あのときは今よりもはるかに体力あったんだなぁ…。このアップダウンをギアなしのママチャリで登るだなんて…。
もちろん当時のように泣きが入ることはないのだが(ここよりキツイ峠はいくらでも越えてきた)、征服感や達成感というよりも、「負けた」感じの方が強かった。今、ここをママチャリで越えろと言われても、おそらくムリだ。
海沿いに出て浜金谷に到着。ママチャリのときはここで挫折して残りは電車で南下したが、まだまだ十分に余力はある。ラスト25キロ程度といったところだろうか。しかし眠気の方がどうにもひどすぎる。早く館山に着いて、10時まで一眠りする時間を作りたい。
浜金谷から南はいよいよ走りにくい道だった。海沿いのアップダウン、トンネルの連発。そして襲いかかる眠気。あぶないあぶない。
朝8時過ぎ、館山まであと5キロほどかというところで、突然後輪がパンクする!なんだよ!パンクかよ!もう少しだっていうのに。チクショオ〜。自転車を仰向けにし、後輪を外し、パッチでパンク修理をする。あーあ、めんどくさい〜眠い〜。
タイヤの表面とウラ面をチェックするが、特に何かが刺さっているわけではない。原因不明というのが気持ち悪かったが、とにかく穴をふさがなければ。眠気と戦いながら修理を終え、館山駅目指して走り出す。
そして9時前に館山駅到着。10時まで近くのマクドで休んでおこう…。もう少し、寝る時間を作りたかったなぁ〜。
10時、学習院大学の講座で知り合った「疋田塾」の面々と合流し、ツーリング開始。毎度おなじみの面々にくわえ、今回は僕の前の職場の先輩である「きー」さんも誘ったのだ。3児の母親ながら最近自転車に目覚めてしまい、なんと神金自転車商会でランドナーを注文中らしい。
館山近郊にある、旧日本軍の防空司令壕跡を訪れる。現地のガイドの説明を聞きつつ、壕の中を探険する。小笠原でも見たような縦横に張り巡らされた地下壕。意外と立派なものだった。
引き続きツーリング。館山南部の丘陵地帯越えだ。隊列が自然と縦に伸びていく。素堀の真っ暗なトンネルを通り、白浜へと下りる。千倉までは海岸沿いを快走し、千倉の「潮風王国」で昼飯。海鮮丼を食べ、皆で自転車について語る。
海岸沿い、フラワーラインを西進し、野島埼灯台へ。9年前のサークルの合宿、2002年の正月ツーリングに引き続いて3度目の訪問だ。いつも変わらず風が強い。
再び丘陵を越えて北上し、4時前に館山駅到着。ここから輪行して帰るメンバーもいれば、浜金谷まで自走し、フェリーで三浦半島に渡るメンバーもいる。
メーターを見るとすでに206キロ。うーむ、いつの間に200キロを超えていたのだ!あっけなく自己最高走行距離を更新してしまった。そして今日はまだまだ走るので、これはものすごい記録が生まれそうだ。
襲いかかる眠気と戦いながら、浜金谷まで北上する。天気は下り坂。カッパは持ってきていない。急げ!…5時半のフェリーに乗り込み、6時に三浦半島上陸。横浜在住のKさんも同じ便のフェリーに乗っており、Kさんいわく横浜までは40キロあるという。…それじゃあ世田谷までは何キロあるっていうんだー?
今日中に帰る気満々だった(つまり0泊3日のつもりだった)僕だが、ちょっと弱気になりつつあった。しかしとにかく走らないことにはどうにもならない。行けるところまで行こうではないか。
久里浜から横須賀を過ぎ、ところどころのコンビニで補給をくり返しつつ、先へ先へと進む。クルマの流れが多く、空も暗くなってきた。トンネルも連発。しかしさほどアップダウンもなく、スピード自体は申し分ない。しかし、眠気が……。
横浜市内に入り、磯子を過ぎたあたりでトラブルは起きた。右膝だ。右膝の皿にかすかな違和感がある。こ、この違和感…覚えがあるぞ??マウンテンバイクで就職前に鹿児島まで走ったとき、箱根を越えた次の日からしばらくの間続いた膝痛と同じだ!
思えばこの違和感の段階で走るのをやめていればよかったのだ。しかし磯子などという見知らぬ土地で宿を探すのは面倒な気がした。せめてあと数キロ、関内まで行こうではないか…なぜ関内なのか?それは関内にある横浜スタジアムへは阪神横浜戦を見るために何度も訪れており、駅前の様子などもある程度知っているからだった。
この関内へのこだわりがいけなかった。関内である必要はなかったのに、判断力がまともではなかった。けっきょく磯子から関内までのほんの数キロで、膝の違和感は明らかな膝の痛みへと変わってしまった。ペダルを踏むのが苦しくてしょうがない。
チチチ、ちくしょーオレのばかばかばかばかばかーン!と心で泣きながら、関内のビジネスホテルに駆け込むのだった。予想外の出費、そのくせ膝に痛みまで抱えてしまって最悪だ。
どうせ泊まるなら、初めからムリのない場所に宿を設定しておけばよかった。久里浜か、さもなくば横須賀か…。自分の無謀さを激しく悔いながら、コンビニで食事を買い出しし、宿でシャワーを浴び、ため息をつく僕であった。
メーターを見ると279.46kmという途方もない数字が表示されている。一回の走行距離としてはまちがいなく過去最高記録。そしてこの記録は今後絶対に抜けないような気がした。その代償がこの膝痛。嬉しくも何ともない最高記録だった。たぶんダメージなく走れるのは、250〜260キロ程度だと見るべきだろう…。
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