走行距離:126km
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別府ユースを出る直前、連泊中の塾の先生(九州出身)と、やたらと陽気な関西ねーさんと話す。 別府から宮崎の間にはユースホステルが全くない。しかし宮崎までは200km以上ある。途中でどっかに泊まらないとなぁ。どこぞの宿を探さないとなぁ…まあ、走ってから考えよう。 あまり車の通ることのない10号を、静かに走り続ける。途中、いたるところで片側通行止めに出くわし、いい迷惑。「情報BOX」という、光ファイバーケーブルの埋設工事のようだった。道路は単なる車の走り道ではありません、情報インフラの一部でもあるんです、というのが国土交通省の主張だ。 山の中のアップダウンは果てしない。さすが宗太郎越えなどと、わざわざ名前がついているだけのことはある。いつまで続くというのか。先が見えない山道を走るほど、孤独なことはないのだ・・・。 しかし、この日は何かが違った。 そしてとある急な登坂を終え、宇目というところに着いたとき、どうやらここが峠の最高地点であるような気がした。 その推定最高地点に、ちょうど食堂があったので遅い昼飯を取ることにした。この時点ですでに80km以上走っている。いつもならもうそろそろこぐのやめようか、という距離。しかし神が宿った僕は、まだまだ走る気満々。団子汁を頼んでいる間、食堂のおばちゃんにこの先の道の様子を訊いてみた。 団子汁をたいらげ、いざ出発! そして、自分との対話が始まった。オレはなんで鹿児島まで走るのやろ?なんで自転車こいでんねやろ?なんで旅をするんやろ?なんのために日々暮らしてるんやろ?そして、なんのために生きてるんやろか?? とまあ、短時間のうちにグルグルグル〜〜と思念の渦が自分の中で巻き起こるのだった。別に何か明確な解答を得られたわけではないけれど、なんとなく悟りを開いた気分で心地いい。ぷはぁ。 メーターを見ると、いつの間にか120kmを超えていた。今回の旅行で最長距離である。脚はなんともない。けどまぁ、今日はこれでカンベンしといたろか。なんや、雨もしょぼついてきよったし。 |
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日付
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タイトル
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走行距離
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宿泊
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まえがき
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| 3月3日 | キミは、登りきることができるか。 | 100km | 箱根レイクヴィラユースホステル |
| 3月4日 | 土砂降りの雨、一車線の人生。 | 106km | 焼津セントラルホテル |
| 3月5日 | 東海道しっかりせよ、怒り号。 | 100km | 浜名湖ユースホステル |
| 3月6日 | 一筋に、一筋に、無敵の男。 | 95km | 愛知県青年会館ユースホステル |
| 3月7日 | 天からミゾレの関が原。 | 110km | 近江八幡ユースホステル |
| 3月8日 | 転勤族の故郷とは。 | 83km | 実家 |
| 3月9日 | 作戦変更。 | − | 実家 |
| 3月10日 | 父子伴走。 | 71km | ビジネスホテルともえ |
| 3月11日 | 瀬戸内旅情で休んだ。 | 82km | ユースホステル浄運寺 |
| 3月12日 | 口角泡を飛ばした夜。 | 93km | 倉敷ユースホステル |
| 3月13日 | 決断のとき。 | 94km | 瀬戸田ユースホステル |
| 3月14日 | 春のうららの海だわさ。 | 89km | 松山ユースホステル |
| 3月15日 | 九州上陸作戦。 | 35km | 別府ユースホステル |
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3月16日
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126km
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シティホテルプラザ延岡
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| 3月17日 | ひとり上手と呼ばないで。 | 88km | 宮崎県婦人会館ユースホステル |
| 3月18日 | ダサいキツネと依怙地のタヌキ。 | 59km | 都城ユースホステル |
| 3月19日 | 桜島だ、いよいよ。 | 69km | 桜島ユースホステル |
| 3月20日 | ずっこけるな、三人組の大競争。 | 49km | 圭屋(たまや)ユースホステル |
| 3月21日 | 佐多岬はるかなり。 | 22km | 錦江湾サウスロードユースホステル |
| 3月22日 | 決戦、あばよ、早くー。 | 58km | JR志布志駅待合室 |
| 3月23日 | さらば、さらば。 | 1km | 大島汽船「ありあけ」2等席 |
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3月24日
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34km
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| あとがき | オレの勲章はオレのもの。 | ||