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| まあ、経歴などを。 ときは1992年、中学3年だった僕は関西に住んでいた。そう、92年は亀山や新庄の台頭、そして仲田幸司、湯舟敏郎、田村勤以下リーグ第1位の防御率を誇る投手陣の活躍で、阪神タイガースがヤクルトスワローズと130試合目まで優勝争いをした年である。 それまでプロ野球には興味がなく、阪神も「そういえば弱いチームだっけ」くらいの認識だったし、何より僕は関東出身だ。しかし学校で毎日話題にのぼるがゆえに自然と興味を持つにいたり、そしていつの間にか阪神の肩を持つようになっていた。判官びいきもあったのだろう。夜、福井謙一、中井美穂のプロ野球ニュースを見たり、もちろん新聞のスポーツ欄は欠かさずチェック。 しかし、阪神は優勝できなかった。 翌93年からは毎日毎日必ず放送される阪神戦のラジオ中継に夢中だった。「ABCフレッシュアップナイター」を聴かずには一日が終わらないという日々だった。関西のラジオは思いっきり阪神タイガースびいきである。 しかし、阪神は優勝できなかった。 郭李の活躍などで9月まではどうにか踏みとどまっていたんだけれどなあ。新庄はたしかホームラン23本打ったしね。郭李が投げて7連勝というのもあった。しかしあのジャイアンツ・大久保の一発が、、、。翌年は藪が新人王を取ったものの、秋に失速。その翌年からは再び暗黒時代で、もうどうしようもない。球団史上最多敗を喫したのはたしか藤田平監督のときだ。 |
| その後坪井が首位打者争いを演じたり、野村監督が就任したり、ところどころ「お」と注目することはあったが、大学での新しい生活に夢中で、毎日毎日タイガースをチェックするということはなくなっていた。真弓、岡田、中西、オマリー、亀山、仲田、田村、湯舟、そして新庄。みんないつの間にかいなくなっていた。藪、川尻、桧山、今岡、みんな活躍が中途半端だった。関川と久慈が中日に移籍したときは、もう応援するのをやめようかとさえ思った。 ときは流れて2001年、すでに自転車旅行という新しい趣味を手に入れていた僕は、プロ野球のことなどすっかり忘れていた。 2001年5月、自転車旅行の途中で偶然見かけた高校生の練習試合。群馬県は高崎市営球場の前橋高校対東農第一の試合。これがなかなか面白い。ピッチャーが白球を投げる、バッターが打つ、歓声が沸きおこる、走るランナー、打球を追う外野、ホームインするランナー、また歓声が沸きおこる!面白い! 野球はライブだ、面白い!野球なんてテレビでやってるんだからいいじゃん、と思っていたが、それは間違いだ。球場で見るべきものなんだ。2001年10月、優勝までマジック1のヤクルトと、阪神の、神宮球場最後の二連戦を見に行った。久々に見る阪神タイガース。そして、1勝1分でヤクルトの優勝を阻止した。神宮球場の雰囲気もすばらしい。面白い!プロ野球は、面白い! 日本シリーズのヤクルト近鉄第6戦。ヤクルトが優勝を決めた試合、僕は3塁側内野席にいた。面白い!この優勝シーン!これは痛快だよ。 |
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2002年の新監督は闘将、星野仙一。今年こそはやってくれるんじゃないか?優勝は無理としても、これまでとは違うはず。といいたいところだが、それは野村監督が就任したときにも感じたことなのだ。しかし、今年はたくさん試合見に行くぞ。
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